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2017.1.5

コンビニとおしぼり

エッセイというものをはじめてみた。エッセイだなんていうと響きはかっこいいが要はブログであり雑記である。
140文字以下の言葉達が回転寿司のようにビュンビュンと流れてゆくメディアも好きだが、こうやってじっくりと長い文章を書く場も良いではないかとうんうん頷きながら文字をタイプしている。頷きすぎて頚椎を損傷しそうなので節度を守って首を振りたいと思う。

文字量と文のスタイルが変わるだけで「気軽なつぶやき」とは打って変わり妙な静謐さが増すのは気のせいか、正座しながら書きたくなってくるものだ。習い事教室に一日体験で入ったような絶妙な緊張感をもって最初の記事を投稿したい。

さて、何を隠そう自分は社会人という身である。不幸にも毎朝電車に乗って会社に行かなければならない。寒い冬の朝に布団は私をなかなか離してはくれないが、快速急行新宿方面行きは待っていてはくれない。会社側がうちにやって来れば良いのにと何度思ったことかわからない。

会社のオフィスが入っているビルの一階にはコンビニがある。全国チェーンのセブンなんちゃらというコンビニだが、中国人が経営し従業員もほとんど中国人という少し変わった店舗だ。店員全員たどたどしい日本語を喋るので店内の空気は奇妙なかわいらしさに溢れている。

朝、パンとヨーグルトと野菜ジュースをレジに持っていく。

「あ、あとおしぼり下さい。」

まるで与えられた役柄を演じるゲームのキャラクターのように毎日同じ時間帯に現れ、同じような商品を買い、同じセリフを言っておしぼりをもらう。これが自分の日課となっていた。
おしぼりがあるとヨーグルトを食べるときに安心するのである。なんだかきれい好きの繊細な男のようだが実際のところ大雑把なO型だ。おしぼりにだけ妙なこだわりがあるだけの話である。

そんな日常を送っていたある日、コンビニの自動ドアが開くとレジに立っていたいつもの女性店員がボソッと呟いた。

「ア、オシボリキタ」

ん?自分のことを言ったのか?

首を傾げながらもレジに商品を持って行くと、彼女は私が頼んでもいないのに自然とおしぼりをガサっとレジ袋に入れたのだった。

その日から私はこのコンビニで「おしぼりちゃん」と呼ばれるようになった。

例の店員は40代くらいの中国人女性でリリーというニックネームで呼ばれていた。
日本には十数年くらい住んでいるらしくアクセントは強いもののまあまあ流暢な日本語を喋った。

「おしぼりちゃん、オハヨウ。元気?私は昨日飲みすぎた。もう帰りたい。」

「おしぼりちゃん、昨日は来なかったね?なんで来なかった?」

「おしぼりちゃん、もっと太った方がいい。今ガリガリ君だよ。」

「おしぼりちゃん、いい人紹介して。彼氏欲しい。」

果たしてコンビニの店員と客とはこんなに仲良くおしゃべりをするものなのだろうか?
彼女の明るい性格からなのか、繰り広げられる会話には軽快
なリズムがあった。
新人の店員がレジを担当していた時には彼女が隣で『〇✳︎▲□※オシボリ〇✳︎▲□※!!』と中国語で横槍を入れ、「こいつが来たらおしぼりを渡すように」と教育しだして面食らったこともあった。
おしぼりちゃんはすっかり常連客だ。BARで常連というのは分かるが、コンビニで常連とは一体どういうことなのか。
レジのテーブルをBARカウンターのようにして毎朝数十秒間軽妙なトークが繰り広げられる。

そんなやりとりが始まってから半年以上が経った最近のこと。
いつものようにレジに行き保険料の支払い用紙を差し出したところ彼女が用紙を怪訝そうに眺めた。

「あれ、名前… タカノ? あなた、タカノさん?」

今まで、黙っていたわけではないのだが思わぬ形で自分の本名が曝け出された。
名称は響きと共にイメージを纏う。今まで「おしぼりちゃん」という比較的ポップなアイコンを盾に面白おかしく会話をし、何かを演じていた自分が滑稽に思え恥ずかしくなった。

思い返せば、数ヶ月間毎朝必ず顔を合わせていたのにお互いの本名を知らなかったということも妙である。
店員の彼女についてもニックネームは知っていたが、本名の書いてあるネームプレートには読めない中国語が殴り書きされているだけで、注目をしたことがなかった。

毎日、しかし数十秒間だけのレジ越しのコミュニケーション、その積み重ねで構築された特殊な関係性は、地球上最も身近で最も遠い。

年末年始の冬休みをはさみ、今年もまたコンビニにおしぼりをもらいに行く。

「おしぼりちゃん、明けましておめでとう。ちゃんとお餅食べた?」

今年も数十秒間が積み重なっていく。

文:タカノシンヤ/絵:峰らる